プロフィール
1973年神戸生まれ。
英語教員の父と元体育教員の母のもと、三姉妹の長女として育ちました。
体は小さい方でしたが健康で、幼稚園、小学校はほとんど休まず、中高の6年間は皆勤でした。
高校生時代からヤングケアラーとして母親の介護を担った父の愚痴や悩みの聞き役を務めるうち、次第に私自身もヤングケアラー的な役割を担うこととなり、本来の自分と周囲の期待との間で葛藤する子ども時代を過ごしました。


中学からは私立女子校へ進学。テニスに打ち込む日々を送り、団体戦で全国大会を経験しました。(写真向かって一番左が私)
高校、大学でも部長や主将としてチームを牽引。日焼けも厭わずテニスに没頭した学生時代でした。
大学卒業後は大学院へ進み、英国ロマン派詩人を専攻。1999年には奨学生として念願の留学を実現し、英国ブリストルで1年間過ごしました。
2002年、結婚して調布へ。
翌年から私立校の英語教員になり、硬式テニス部や天文部の顧問も務めました。やりがいのある充実した日々でしたが、激務のため30代半ばで体調を崩し、退職しました。
退職後に子どもを授かりましたが、妊娠中に東日本大震災に直面 。福島第一原発事故やその後の安保法制など、子どもの未来を脅かす社会情勢に危機感を抱き、政治に関心を持つようになりました。
デモ参加や「ちいさな憲法のお話し会」の主催を通じ、草の根の活動をスタートさせました。



タコ公園の閉鎖や地下駐輪場計画に伴う樹木の全面撤去を機に市民活動へ参加し、街路樹の保全や計画廃止を実現。
さらに教育プラン策定委員会の市民委員として、公的な場で発言し市政に関与する重要性を実感しました。
こうした経験を通して情報公開や市民参加の重要性に気づくとともに、子どもたちにやさしい調布をと、市議会議員を志しました。

大学4年の1月に阪神・淡路大震災を経験し、自宅が全壊しました。幸い家族は無事でしたが、地震のトラウマから解放されるのには優に10年以上かかりました。(写真は全壊した家から物を取り出す22歳の私。)
市議会議員としての実績
計画性のない街路樹の伐採は愛着をもつ住民にとっては辛い別れですが、老木は脅威ともなります。樹冠や景観を保ち憩いの木陰を創出しつつ安全を確保し、さらに樹木との別れを受け入れる心の準備もできるよう、樹木剪定・手入れ・更新の方針を定めたガイドラインを求め実現しました。

1年生は1年中かぶる交通安全帽。その姿はとても可愛らしいのですが、通気性のないポリエステル製で気温が高い日には汗だく。交通対策と教育の2つの部署にまたがるため時間がかかりましたが、子どもたちの声が聞き届けられ、メッシュ地の帽子に改善されました。

不登校児と保護者の孤立や、学びの多様化学校はしうち教室で登校率が上がらない実態を訴え、家庭訪問支援や中学生の教育支援センター設置の早期実現につなげました。家庭学習を応援するデジタル教材の導入や別室登校の教室整備も進めました。

18歳と21歳を対象に自宅に届く自衛官募集。9条の解釈改憲と安保法制施行から自衛官の役割が大きく変わる中、保護者を中心に戸惑いの声が上がりました。個人情報保護の観点からも、事前に除外を申請できるよう求め実現しました。








